経過報告
4日間の驚くべき出来事でした。
11/25(火)北里で糖尿の健診を受けた際、担当の山田悟先生より
「ヘモグロビン値が6.6という異常事態だから急いで北里の血液内科を受診するよう」言われた。貧血の自覚:めまい、息切れなどがあったから了解した。
11/27(木)血液内科の浅見先生より
「骨髄穿刺の検査が必要だ、その後の治療が北里では無理なので済生会中央病院の予約を取るよう」と指導された。何が何だかわからないまま無理矢理翌日の予約を取った。
11/28(金)済生会中央病院(赤羽橋)へ10時頃ふらふらしながらたどり着いた。
予約満タンの中に無理やり入れてもらった予約だから待っても待っても順番は来なかった。驚くほどの本数の血を取り、レントゲン、心電図、の後医師に会えたのは3時
菊池隆秀先生より 細かい丁寧な説明があり
「今日中に脊髄穿刺をした方がいい 結果が出たら続けてここで治療を受けるつもりはあるか」と聞かれ同意した。(山田先生や浅見先生が急いだのはこのためだと解った)
3時過ぎなので看護婦さんたちが「今からマルクだって」と大騒ぎだった。
同意書を書きマルクというこの手術が始まったのは3時半 4時すぎに終わり、別室に移動して1時間以上かかって輸血を受けた。5時半にタクシーを呼んでもらって7時過ぎにやっと帰宅。
来週の12/5(金)に結果を聞きに家族と一緒に来るように言われK子に都合を聞く。休みを取ってもらう。
早晩入院になると思うけれど、クリスマス礼拝(12/21)だけは出たいと思っている。
輸血効果はすごかった、食べられるようになった。歩いても息が切れなくなった。頭がよくなった。便秘が治った(今日はもう4回も排便)etc
結果報告は次回
Slipping Through My Fingers
先日昔の証をのせたのは、
上の娘達が「子ばなれ」の時期を迎えようとしていると感じたからです。
二人とも私の様に深刻になることはないと思うけれど、姿の見えない喪失感に出会う ことはあることと思います。
その時とその先をどう生きるかを、アンパンマンの歌みたいに(何のために生きるか、何をして喜ぶか)を考えておくことは大切だと思います。
私の好きなABBAの歌の一部です。
Slipping through my fingers
「The feeling that I'm loosing her forever
And without really entering her world
I'm glad whenever I can share her laughter
That funny little girl
私の指の間からこぼれ落ちちて行く
私はこの子を永遠に失ってしまうと感じるの
この子の世界に入りこむことはもうないのだと思う
あの小さなおかしな女の子と一緒に笑ってた時
いつだって私は幸せだった」
私が笑いあったおかしな私の小さな女の子たちはみんな母親になりました。
幸せなことです。
昔の証し
文集より
20年以上前の教会文集の原稿です。読んでください
沖へいでよ(2002.5月)
「沖へいでよ岸を離れ/主の恵みのただ中に/いざ漕ぎいでよ」この讃美歌とともに三女が、昨年3月に受洗しました。4月からホテル専門学校に入学し、10月からニュージーランドのティアナウへ4か月間のホテル実習に旅立ちました。9.11ニューヨークのテロ事件があったばかりで心配でたまらなくなっていた時、またこの讃美歌を歌うことがありました。「A子の歌だわ」と思いながら歌っていると、突然涙がこみ上げてきて止まらなくなり、「このことがみな神のご計画の中にあって、恵みのただ中にA子が出ていくのだ」と確信できたのです。10月24日人もまばらな成田空港からA子を送り出した時、心は平安と感謝でいっぱいでした。
しかし本当は、私にとって大変つらい時期がこの頃から始まっていたのです。A子の出発からしばらくすると急に淋しくなり周りの空気が変わってしまったのです。カラーの世界が白黒の世界になってしまったようでした。うつ病だったのかもしれません。何も考えていないのに「生きることのすべてがおっくう」で毎日仕事に行くことがなければ、寝込んでしまったかも知れないくらい心の闇がどんどん広がって、アッという間に私を覆いこんでしまいました。
朝起きることは死ぬほどつらくて、神様の助けなしには起き上がることも、顔を洗うことも出来ません。とにかく家を出るまでがひと仕事でした。「主よ 助けてください」「神様、家を出ることが出来ました。ありがとうございます」「電車に乗れますように」「職場に着くことが出来ました。感謝します」食事をするにも自分を叱咤激励しなければなりません。
普段と同じことを同じようにするのも、自分にいちいち指示を出さなければなりません。外出も面倒になり「ママが少し変だ」と思った次女のT子が誘い出してくれたのですが、孫の顔を見ているときだけが唯一「生きている」と思える時でした。「ひとりが怖いなら家に帰らなければいい」とも思うのですが「今帰らないと永遠に帰れなくなってしまう」不安におそわれて慌てて家に帰ってしまうのです。本当に辛かった!
心の底に「この世から消えてしまいたい」という思いがありました。そんな時また「沖へいでよ」の歌を聞きました。そして「沖へ出た」のはA子だけではなかったことに気づかされました。自分が陥っていたものが見えてきました。痛みの原因がわかったのです。「A子がいなくなってしまった! もう私のところへ帰ってこない!! 私は永久に独りぼっちだ!!!」 4ヶ月後にA子が帰ってくることを知っているのにそう叫んでいる自分が居ました。
長い間3人の娘を一人で育てて来ました。本当に大変なことでしたが、それが今「終ろう」としています。それは嬉しいようで本当はとても淋しいことなのです。私は気がついたら突然独りぼっちで「老い」の入り口に立っていました。それに伴うたくさんの「喪失」の実感が私を押しつぶそうとしていました。『これからはもっともっと独りぼっちになる』と主は言われます。それだからこそ、そこは《主の恵みに出会う場所》なのだと「沖へいでよ」の歌は語っていました。そしてそこは《御霊がより近くにおられることに気づく場所》だったのだと今は言うことが出来ます。苦しみの日々私は1日に何度も主の名を呼びました。心の中で、声に出して、主を呼び続けていました。主はいつも近くいて下さいました。
2月24日待ちに待ったA子が1回りも2回りも大人になって帰ってきました。赤ちゃんだったA子が、もう立派に一人前です。「これで私の役目は終わった」私の予感した「喪失」の始まりでした。このことに出会う準備としてあの苦しみが与えられたのだと、今は考えています。
pテイリッヒの「永遠の今」という説教集に《一人であることの苦しみと栄光》という文を見つけて驚きと共に大きな光を与えられました。



