桜散る

雨の中プールに行ってきた。

先週7分咲きだった公園の桜が地面にべったりと散っていた。

桜は日本の人の花だなあと思った

私みたいな者でもこの風景には心が痛む

今日のこの雨と風を恨めしく思った人が何人もいるのだろう

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」の歌を思い出した。

私は「花さそう嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」といったところ

 

帰り道はもっとひどくて歌を思い出している余裕もなかった

レインコートと長靴でもびしょびしょになってしまった。

 

帽子作成

しばらく前から孫の帽子が小さくなっていたので新作に挑戦

図書館で型紙付きの雑誌を借りてきて作ったのだけれど

少し大きい気がする。ぶかぶかが心配

工夫して作るのが何より楽しい

 

リホーム用の可愛い古布あったらください。

浴衣のお古が有ったら甚平作ります。

 

 

ラーゲリより愛を込めて

 昨日雨と強風の中、新宿まで行ってきた。

平和祈念展示資料館」の春休みイベントで映画や芝居があった。

私は昨日の映画「ラーゲリより愛を込めて」と展示を見てきた。

 (戦争が終わった時、ソ連軍に捕らえられた日本兵75万5000人がソ連の酷寒

  地方に連行され、寒さと乏しい食料、劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働をさ

  せられた。)

映画は実話に基づいた小説の映画化らしい。

託された遺書を暗記して家族に伝えるシーンは涙なしには見られなかった。

1人ひとりの役柄がよく描かれていて、1人ひとりが何とか希望を失わずに帰国して

ほしいと願った。

映画を通して日本人の価値観(何を美徳と思うか、何を美しいと感じるか)を伝えた。

以前見た劇団四季の「異国の丘」もこのラーゲリでの話だった。また観たい。

 

 偶然、貸してもらった「通販生活」という雑誌に

語り継ぐ戦争の話という特集があり「空襲」「疎開」「引き上げ」の聞き語りを

載せていた。本土であっても戦時下には普通の生活はなかったことを改めて知った。

 

 

更新できず

書きたいことは少しあるけれどまとまりません。

体調は元気です。

週2のペースでプールに行っているし

少しだけ息継ぎが出来るようになるなど小さな進歩。

 

年度末で忙しい人、新しいことが始まる人もいるかな

健康に気を付けてお過ごしください。

 

銃口(三浦綾子)

日韓親善宣教協力会の平島牧師のお話にこの本の話が有り、

読まなければならないと思って手に取った。

昭和の初めから昭和の終わりまで 一人の男性の生き方を通して

この時代はどんな時代であったかを思い起こさせてくれる。

昭和19年生まれの私は、戦後の事も知ってることはわずかだ。

物語として主人公竜太の生涯に一喜一憂したけれど、

感想の第一は「怖い」だった

いわゆる戦時下では何でもありなのだと言う事

思想による拘禁拘束は当たり前。拷問による死傷、冤罪も晴らせない

軍隊は椀力が強いことが優先で、暴力で人を殺せる勇気がなくてはならない

今の日本は軍国化に進もうとする意見が増えている

災害も怖いが戦争はけた違いに怖い。

第二は「人の本質は変わらない」

弱虫で臆病、誠実でまじめな優等生の彼が、上官が丸腰の農民を虐待して殺したとい

う自慢話に、反抗的な発言をしたため殺されかける。 満州からの逃避行中、自分だ

けが助かることや、何かにつけておもいやりのない自分に気づいて落ち込のは彼ら

しく、死の間際まで「人の本質は変わらない」ことが私にとっての慰めだ。

第三は「知らない」「知らせない」は罪だと思う

今この昭和の戦争の悲惨の実態を原因と結果を教育として学ぶべき時であると思う

しかし現実は反対の戦争教育(戦争をしたがるような、戦争するしかないと思うよ

うな)がなされている気がしてならない。

 

 

結婚祝

私が結婚した時に友人がくれたノートです

香川栄養学校を卒業した友人が、料理のレシピを書いてくれたものです

その頃は主婦でも栄養のことなどはあまり知らずに料理をしていたのです。

そのノートには私でも作れそうな料理が、材料や作り方とともに栄養の事が書いてありました。栄養は4つのグループに分けられてトランプのマークで示されていました。

肉や魚 穀類 野菜 海草や牛乳 大雑把なものでしたが私がわかるように

(その頃は学校でもトランプマークを使っていたのかもしれません)

「健康のために食べることを大切にするように」とのメッセージでした。

彼女はその後料理の先生になりましたが50代で亡くなってしまいました。

 

先日女子栄養大学に入った孫に彼女の話をしたので思い出して探してみました

料理の部分は捨ててしまって他のノートとして利用したようです。残念!

でも彼女の教えは今も私の中に生きています。

貧しい時も子供たちと栄養のあるものを食べるように気を付けました

私もみんなにに言います

「健康のために食べることを(栄養を)大切にするように」

今では中学や高校の家庭科で栄養の事を学ぶのだと思うけれど

もう一度思い出してみてください。